ラトーは国境近くにある家庭の出身で、家族は彼と母親の2人きり。

お互いに支え合って生きてきました。

ラトーは子供の頃からずっと、父親の顔を見たことがなく(…写真すらないのです)、母も、父親のことに関してはあまり語りたがりませんでした。

ただひとつ知っていたのは、父は料理技術に秀でた人だったということ。

そのためラトーは子供の頃から、世界最高の料理師−「大料理師」になれれば、父を見つけられると信じ続けてきました。



ラトーは生まれつき、才能に恵まれていたのでしょう。

ラトーの通う、国境近くの小さな街の料理学校では、成績は常にトップクラス。

しかも13才のとき、伝説として伝えられるイタリア料理の料理法を独自にマスターしたため、ラトーの名は一夜にして首都にそびえる宮殿にまでとどろきました。

満14才になると、宮廷料理長のオリゴーヌ・ミントから、王国最高の料理学院−「王立聖シモン料理学院」への推薦を得ることもできたのです。

しかし、ラトーの母は入学に猛反対。入学への返事を1年以上も引き延ばし続け、危うく国王自らが説得にあたろうとするに至って(もちろん、そうはならなかったのですが…)、母は、ようやくラトーの入学を認めたのでした。



入学した最初の一年は、緊張感のある授業(とデート)に追いまくられて、あっという間に過ぎていきました。

そして、最後の一年はすべての生徒にとって大切な一年。

それは…レストランの経営実習が待っているからなのです!

実習の成果は、イコール成績。

「大料理師」になれるかどうかのカギとなるのです。



ラトーが開店したのは「ビストロ・きゅーぴっと」。

彼はこの店で、伝説となるようなレストランの経営に挑戦するのです!

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