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第 八 章  花 火 の 光 、 心 の 闇

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葛ちゃんは既にトイレを出ており、わたしは館内を探し回った挙句、ようやく彼女を館内の一角で見つけた。

合流したあと、また二人で展示品を見て回ったが、先程の黒髪の女の子はもういなくなっており、館内はまた静寂に満たされていた。

あの黒髪の人は、職員さんと一体何を話していたのだろう。もしかして、駅で見た写真の男の子の行方をまだ捜していたのだろうか。とりとめもなく、そんな考えが浮かんだが、口の端からそれが言葉となって出ることはなかった。

わたしたちはその後もしばらく様々な資料を見て回ったが、特に気になるものや山の神に関する資料を目にすることもなく、資料館を出た。

バスに乗って家に戻ると、サクヤさんは先に帰宅していた。

わたしたちが郷土資料館を見学していた間、サクヤさんは町で夕食の材料の買い出しをして薪を拾い、屋敷の台所にあった釜戸を使って夕食の準備をしていたらしい。普段はガサツにも見えるが、やはり自立した大人の女性なのだ。予想もしなかった光景を見ながら、わたしはそう感じた。

テーブルの上には、彼女が作った豪華な夕飯が並んでいた。
それを見ながら、わたしは呟く。

「……サクヤさん、見直しました」
「わたしも、わたしも」
「そりゃ、どうも」

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サクヤさんが作った夕食を食べ終わる頃には、外は闇に包まれていた。

開け放した窓から入ってくる風は、日が落ちたせいか心なしか涼しく感じられる。わたしたちは食後の一服とばかりに、川の字になって畳に寝転んでいた。

「平和だね」
「平和ですねー」
「暇だねぇ」
「暇ですねー」

わたしはごろごろと畳の上を転がるのをやめて、上半身を持ち上げる。

「それじゃあ、またゲームでもやる?」
「だけど、それは昨夜さんざんやったしねぇ」
「ですね。サクヤさんとは勝負つきませんし」
「何か賭けるなら、あたしはいつでも勝負するけど、どうする?」
「ぶるぶるぶる」

とんでもない。わたしは慌てて首を振った。

昨夜の勝負はわたしのひとり負けだったのだ。勝ち目のない勝負を挑むほど、わたしは無謀ではないつもりだ。

「うーん、とはいえ何かあるかねぇ」
「わたし、いいもの買ってきましたよ」

わたしと同様に転がっていた葛ちゃんがそう言い残すと、立ち上がって居間から出ていく。

「尾花、何だかわかる?」

たとえ尾花が知っていたとしても、それを理解する手段がわたしにあるわけではないが、とりあえず尾花に聞いてみた。

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案の定、尾花は首を傾げて、どっちとも取れる仕草をした。これではわかるわけが無い。

しばらくすると、廊下を走る小気味良い足音とともに葛ちゃんが帰ってきた。

「じゃーん、こんなこともあろうかと!」

後ろ手に隠し持っていたものはビニール製の手提げ鞄で、中には棒状・筒状ものがぎっしりと詰め込まれていた。

「花火?」
「しかもお徳用です」

値段がわからないので本当にお得かどうかは不明だが、確かにボリュームはたっぷりだった。手荷物花火がほとんどだが、落下傘入りの打ち上げ花火や、木や棒に吊るすタイプの花火も少しずつ入っている。

「やっぱり夏といえば花火だと思ったんですよ。さっそく川原へレッツ・ゴーです」
「今から行くのかい?」
「今からって、普通花火は夜にするものだよ」
「それにこちらの庭はこの有り様ですから」

庭というよりは一面の野原。しかも、その野原が燃えやすそうな木造家屋に隙間なく隣接している。こんなところで花火をすれば、火事になる可能性は大だ。

「確かに、庭でするのはやめとくべきだね」
「とはいえ夜に山道歩くのだって、慣れてない桂には危なくないかい?」

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確かにそれは一理ある。わたしはそれを受けて少し思案し、提案した。

「じゃあ、保護者同伴なら」
「……保護者?」

じっとサクヤさんを見る。

「あたしかい?」
「だって、サクヤさんは山道慣れてるよね? 夜の森での撮影もしてるし」
「そりゃあ、夜行性の連中を撮るには夜じゃないといけないしね。むしろ夜の撮影の方が多いぐらいさ」
「じゃあ、サクヤさんと一緒なら大丈夫だ」
「……やれやれ、仕方がないねぇ」

ゆっくりと立ち上がるサクヤさん。

「それじゃあ行くか」

わたしたち三人と尾花は、花火を手に川辺へと向かった。

§

川辺に着くと、わたしたちは各々好みの花火に火を付けて火と光の美しさを楽しんだ。

しばらく花火を楽しんでいると、サクヤさんが落下傘付きの花火に火を付けた。花火が撃ちあがると地上5メートルくらいのところで光の花が咲き、落下傘が風に揺られてゆっくりと落ちてくる。

「……あ」

わたしは落ちてくる落下傘を追いかける。

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落下傘は思いのほか風に流され、川原の傍の草むらへめがけて落ちていく。

わたしはちょっと離れるだけなら大丈夫だろうと、虫除けスプレーの力を信じて、丈のある草を掻き分けながら進む。

落下傘がようやく草むらの中に落ちるのが見えた。

落下地点に辿り着き、落ちた落下傘を拾って二人の所に戻ろうとしたとき、背後で草の音がした。風に揺られた草同士がこすれるような軽い音ではなかった。しかも音は段々と近づいてくる。

もしかして、昨日の大蛇?

記憶がフラッシュバックし、昨晩の光景が脳裏に蘇る。心拍数が上がり、足が竦む。

音の出所は次第にわたしに接近し、やがて草がかきわけられた。「ひっ!」

わたしは頭を抱えてしゃがみ込んだ。

だが、何も起こらない。

恐る恐る両手の間から音のした方向を見ると、そこにいたのは尾花だった。

「なんだ、尾花かぁ」

わたしはほっと胸をなで下ろす。

立ち上がってスカートの裾についた泥を払いながら、尾花に問いかける。

「もしかして、心配して付いてきてくれた?」

尾花はふさふさの尻尾を左右に揺らした。イエスの合図なのだろうか。

「そうだよね。最初から尾花についてきてもらってたら良かったよ。じゃあ一緒に戻ろうか」

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そう言うと、ぱさっと一回尻尾を振った尾花は、くるりと元来た方向へ身体を反転させる。

その瞬間、先程よりもさらに大きく、草が踏み分けられる音がした。

瞬時に尾花は音のした方向に反応し、四本の足を突っ張って全身の毛を大きく逆立てる。

何かがいる。近づいてきている。

とっさにそう判断したわたしは反射的に身構えた。

がさがさと草を掻き分ける音は次第に大きくなり、わたしたちのいる場所へ近づいてくる。

じっと見守るわたしと尾花の眼前でやがて草が切り拓かれ、人間の姿が見えた。

草むらから月光の元に姿を現したのは女性。経観塚駅や郷土資料館で見かけた黒髪と黒い服が印象的なあの女の人だった。

ただし今の彼女は、その姿に不釣合いなものを携えていた。右手には日本刀、左手にはその鞘が握られていた。

女性はわたしたちを一瞥すると、口を開く。

「何者ですか?」
「何者だとか聞かれても……一般人のつもりですけど」

あまりにも現実離れしたシチュエーションだったが、わたしはそう答えた。人を捜していたかと思えば、次は日本刀を持ってうろついているなんて、この人は一体どういう人なのだろう?

至極当然な疑問だと自分でも思ったが、彼女にはそのような考えはないらしい。続けて彼女はわたしに問う。

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「ただの一般人が、こんな時間にこんな場所にいるとでも?」
「わたし、向こうの川原で花火をしていただけで、別に怪しい者じゃ……家も近くですし」
「…………」

彼女は黙り込んだままだ。どうやらわたしへの疑いはまだ晴れていないらしい。

「あの……あなたこそ何者なんですか? そんなものを持ってるなんて、普通の人じゃありませんよね?」
「私は人に仇なす人ならぬものを切ることを生業とする、鬼切部の鬼切り役」
「は?」

予想もし得ない答えが返ってきたことで、わたしは一瞬ぽかんとしてしまった。頭の中の考えがクエスチョンマークで埋め尽くされそうになったが、彼女の言葉の意味を反芻して尋ねた。

「えーと……それは人じゃない者や鬼を斬る職業……つまりモンスターを狩るハンターみたいなものってことですか?」
「その通りです」

ますます唖然としてしまう。

この現代にモンスターハンターとは。いや、そもそも鬼などの怪物は幻想の産物だ。そんなものが本当にいるわけがない。これは何かたちの悪い冗談かと思ったが、彼女はいたって本気のようだ。それを表すように、夜の闇の中で見開かれた彼女の右目は月の光を映して蒼々と凄みのある光を放っていた。

その眼光に射貫かれ、わたしの身体は空気の壁に貼り付けにされてしまう。

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まさかモンスターハンターだなんて。わたし、斬られてしまうんだろうか?

月光を浴びて妖しく光る日本刀を眺めながらそう思ったが、彼女の継いだ言葉はさらに意外だった。

「微かな鬼の気配を追ってきたところ、そこにあなたがいたのです。どうやら、あなたは普通の人間のようですね……お騒がせしました」

そして、わたしと尾花ちゃんを見比べて小さく息を吐く。

「あなたは……もしや、羽藤の家の方ですか?」
「え? あ、うん。わたしは桂。羽藤桂」
「なるほど。剣を向けたりなどして申し訳ありませんでした」

流れるような見事な動きで、太刀が鞘に戻される。

どうしてこの人はわたしの苗字を知っているのだろう。そう思ったが、尋ねる間もなく、彼女が二の句を継ぐ。

「私は千羽烏月と申します。ところで羽藤さん。最近あなたの周りで怪しい現象が―」

そのとき、千羽さんの言葉を遮るかのように葛ちゃんの言葉が聞こえた。

「桂おねーさーん、どこ行きましたかー」
「あ、葛ちゃん、こっちだよー」

わたしを探す葛ちゃんの声に応えると、千羽さんはわずかに反応した。

「葛とは?」
「うん。一緒に花火をしてた女の子」

千羽さんに答えていると、葛ちゃんが草むらからひょっこり顔を出した。

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「あ……」

その途端、茂みの間から顔を覗かせた葛ちゃんが止まった。

月明かりに青白く照らされた葛ちゃんの顔は驚きの表情を浮かべ、視線は千羽さんに釘付けになっていた。その口からは言葉にならない声が漏れる。

「ああ……ああ……」
「葛ちゃん、どうしたの?」
「なんで……こんな……」

葛ちゃんはこわばったままだった。

「葛様。こんな所にいらっしゃったんですね」
「葛様?」

慇懃な千羽さんの態度の理由がわからなくて、わたしも葛ちゃんに訊ねる。だが、葛ちゃんは固まったままだった。

「羽藤さん。若杉葛様で間違いないですか?」
「うん、そう聞いてるけど、若杉って?」
「おそらくあなたの考えている通りの若杉です」
「ということは……若杉グループの?」
「その通り」

若杉グループ。

日本でも有数のコングロマリット。多種多様な業種の会社を傘下に収め、世界でも有数の資本力を持つと言われる企業体だ。わたしは経済には疎い只の高校生だが、それでも若杉グループの名前と企業力くらいは知っている。葛ちゃんは、それほど有名なグループの関係者なのだ。

その事実を聞かされ、わたしはまたも唖然とする。

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千羽さんは葛ちゃんに歩み寄って、さらに声をかける。

「……お嬢様?」
「やめてくださいっ! わたしはただの葛ですから。もう若杉とは何の関係もありませんから……」
「関係なくはないはずです。いくら否定したところで、あなたの体に流れているのは若杉の血です。わたしに千羽の血が流れているように」
「知りませんよ、そんなこと」

千羽さんは一息つくと、再びゆっくり話し始めた。

「葛様。会長が亡くなられました」
「そうですか……ぜんぜん知りませんでしたよ。別に知る価値もないですけど」
「現在、若杉を継ぐ資格があるのは葛様おひとりです」
「わたしひとりになるように仕向けたんですから、そんなの自業自得じゃないですか。若杉はもう終わってるんです! わたしは関係ないですから、煮るなり焼くなり好きにしてください!」

葛ちゃんはそう言うと山の中へと走っていく。

「葛ちゃん!?」

わたしは考える間もなく、葛ちゃんを追いかけて走りだした。

彼女の脚は小学生にしては速く、敏捷な葛ちゃんを見失わずに追いかけられたのは、わたしにしてみれば奇跡的だった。

しかし、それも長くは続かなかった。わたしの体力は早くも限界以上を迎え、心臓が悲鳴をあげていた。脚も重くなってきており、このままでは彼女を見失ってしまうだろう。そう考えながら力を振り絞って駆けると、ようやく黄色い着衣の背中に追いついた。

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「葛ちゃん、待って……」

伸ばした指先が、葛ちゃんのフードに触れた。

もう少し。

もう少しだけ追いつければ。

髪やスカートの乱れを気にする余裕もなく、尖った葉や枝が肌を裂くのにも構わず、わたしは走った。

きっと傍から見たらすごい格好だったかもしれない。喰らうために人を追いかけて走る、恐ろしい山姥に見えたかもしれない。でも、このまま追いつけなかったら二度と葛ちゃんにはあえないような気がして、わたしは必死だった。

彼女を追って、小さな擦り傷をたくさん作りながら茂みを抜けると、そこはほんの少し開けた場所だった。

何故か見覚えのある場所だった。月の光と夜の色とで青紫に染まったリボンが、ぽつんと生えた小さい木に結び付けられ、ひらひらと温い風に踊っている。

いけない。このままの勢いであそこに向かって進んでは危ない。

どうしてかは解らなかったが、本能が危険信号を発している。わたしはそこへ向かう葛ちゃんへと叫んだ。

「お願い、葛ちゃん止まって!」

わたしは止まれと彼女に言いつつ、自分は一層加速した。草薮が開けたのを幸いに、脚のストライドをそれまでより大きくする。

フードの端が、再度掌まで届いた。だが目の前にはリボンが迫っていた。

わたしは葛ちゃんのフードを力一杯握り締め、脚にブレーキをかける。何とか間に合ったと思ったが甘かった。

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ひとりでも全力疾走の状態からピタリと止まるのは無理なのに、止まる気のない葛ちゃんを捕まえつつ急停止できるわけもない。

葛ちゃんの足が、地面のない場所を蹴ろうとして空振りする。

そこには地面がなかった。あるのは枯れた井戸。

そのまま彼女の身体は枯れ井戸の中へと落ちていく。それに引きずられるようにして、わたしも一緒に落ちていった。

わたしは古井戸の底に落下し、したたかに腰を打ち据えた。あまりの衝撃に身体中が痺れ、思わず身を仰け反らせる。

「あいたー。いたたた……」

呻き声が口から漏れたが、幸いにして身体は無事なようだ。出血も致命的な怪我も負ってはいない。

わたしと葛ちゃんにとって幸いだったのは、下に尖った石や固い岩がなかったことだ。それと落ち葉が厚く積もっていたのも無事だった理由のひとつだろう。

それでも思いきり打ち付けた腰と臀部の痛みがなくなるわけではなかった。

「葛ちゃん大丈夫? ちゃんと生きてる?」
「わたしは大丈夫でしたけど……」

落ちている間に体勢が入れ替わっていたのか、葛ちゃんはわたしの上にいる。

「おねーさん、何やってるんですか」
「何って、葛ちゃん追いかけてたんだよ。散々だったけど、終わり良ければすべて良し」

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「全然良くないじゃないですか」
「上まで目算五メートルってところでしょーか。おねーさんの肩にわたしが立っても、全然高さが足りないですよ。人間、閉じ込められたらおしまいです。閉じ込められたら、そのまま朽ちていくしかなくなるんですよ。だからわたしは……」
「じゃあ、出ようか」
「出ようかって、そんな簡単に」
「うふふ、これなーんだ?」

すっかり暗さに紛れていたが、わたしは古井戸の壁沿いに垂れ下がる蔦葛を引っ張った。

「これなら上まで登れるでしょ」

わたしは葛ちゃんに得意げな笑顔を向ける。

「と、その前に。葛ちゃん。説明してもらいましょうか」
「説明って、何をです?」
「色々と。まず、葛ちゃんは若杉グループの跡取りって本当?」
「……いわゆる嫡出でない子ですけどね」

そう言いながら、彼女は語り始めた。

「跡取り候補は嫡出子も含めて数十名いたんですけど、わたしひとりになりまして……おじーさんなんて呼ばせてもらえませんでしたけど、会長には期待されていました。それが嫌で家出したわけなんですけど」
「それでこんなところに?」
「人目のある所だと、すぐ居場所をつかまれますから。今回見つかったのは運が悪かったとしかいいようがないです」
「そうだね。葛ちゃんのこと、探してた様子じゃないみたいだもんね」

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「まあ、探されていなかったとしても、おねーさんの家みたいな人里はなれたところに居着いていたとおもいますよ」
「どうして?」
「わたし、人間嫌いですから」

葛ちゃんは食べ物の好き嫌いを喋ってでもいるかのように、あっさり言った。

「だって葛ちゃん、そんな感じは……」
「表に出したりしませんよ。そのぐらいできないと、他人に食い物にされる一方ですからね」
「…………」

古井戸の上を吹き抜ける風が、何か言おうとしたわたしから言葉を連れ去っていく。木の葉のように言葉が遠くにさらわれていく。

風に流された雲が月を隠したのか、ふっと空が暗く陰り、しんとした闇が一帯を支配する。

「おねーさんはコドクって知ってますか?」

沈黙の闇から言葉を引き上げたのは、雲の切れ間から顔をのぞかせた月の引力だったのかもしれない。わたしに訊ねているにもかかわらず、わたしの方を見るでもなく、葛ちゃんはひとりごとのように、月の光に蒼褪めた唇で呟く。

「ひとりで取り残されること?」
「違いますけど、あながち間違いではないですね。虫を三つお皿の上に書いて蠱、それに毒液の毒で蠱毒――呪術のやり方のひとつです」

葛ちゃんはゆっくりと言葉を続ける。

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「まず毒のある虫をひとつの容器に閉じ込めるんです。そして餌を与えない。餌がないから虫は食い合いを始めます。まさに弱肉強食ですね。そうして最後まで生き残るのは一番強くて、一番生きたがりの一匹です。その虫の命を使うことで、強い呪いをかけることができます」
「で、その呪いの方法がどうかしたの?」
「それに近いことを、若杉では後継者選びの方法として採用しているんです」
「えっと……それは受験みたいなもの?」
「そんな生ぬるいものじゃないですよ。鬼切り頭を勤める若杉は陰陽師の血筋ですから、実際にそのものを行います」
「でも、そんなことしたら人の命が……警察にも通報されないの?」

蠱毒、そしてそれを用いた後継者選び。そんなものがこの現代に存在すること自体、わたしには信じられなかった。

それが本当ならば、争いに敗れた虫の運命はどうなるのだろう。

「そーですよね。骨肉相食む跡目争いだなんて、大時代的もいいところです。近代の法治国家で起こることではないですよ。でも若杉は日本の国、政府に対する大きな影響力を持っています。例えば大使館の敷地内が治外法権で護られているように、若杉の家の中で起こった大抵のことはもみ消せるんです。ですから、それはもうひどいことになりますよ」

皮肉なのか嘲りなのか、そう言いながらうっすらとゆがめられた唇は、葛ちゃんを別人のように見せていた。

「だけど、やる気がないなら途中で権利を放棄したりできないの?」

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「引っ込みの着かないポジションにいたんです。わたし、昔から大抵のことを上手くこなしていましたから。おかーさんは鳶が鷹を生んだって喜んでくれてたんですけどね……」

葛ちゃんは思い返すように言葉を続けた。

「その鷹は爪を隠すことを知らない子供でした。気付いたときには何の因果か最有力候補です。こんな子供を捕まえて馬鹿げた話ですが、わたし以外は後継者には認められないって。おじーさままでそれを暗に認めちゃいましたから、わたしの人生しっちゃかめっちゃかです」
「葛ちゃん……」
「それからいろいろありまして、わたしは独りになりました。そういう環境で育ちましたから、独りの方が楽なんです。独りじゃないと辛いんですよ」

だから自分のことは放っておいてくれと、言外にわたしに告げる。

それでもわたしは葛ちゃんをこのまま放っておくことはできない。

「本当に独りがいいなら、どうして尾花と一緒だったの?」
「尾花は人間じゃありませんから」
「じゃあ、どうしてすぐに出て行ったりしなかったの?」
「おねーさんがすぐに帰ると思ったからですよ。何もないところですから、都会から来た人はすぐに飽きると思ったんです」
「その何もないところの電気や水道を使えるようにしたのは葛ちゃんだよ。わたしがあの屋敷にいやすいようにしたのは葛ちゃんだよ」

葛ちゃんはわたしのことを歓迎してくれているものとばかり思っていた。

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放っておいて欲しいと思っていたなんて、わたしに早く帰って欲しいと思っていたなんて、そんな言葉に素直に頷けるはずがない。

「ねえ、わたしのこと怖い? わたしが同じ部屋にいたら寝れないぐらい、わたしのこと怖い?」
「別に、桂おねーさんは怖くないですよ。例えおねーさんがわたしの命を狙っても、どうにでもできそうでしたし」
「うっ……」
「むしろ、鬼切り頭としての若杉を恨んでるサクヤさんが怖くてたまりませんでしたよ。いつ噛み殺されるかヒヤヒヤしてましたよ」
「サクヤさんが?」
「蠱毒で生き残るには周りを潰さなければいけませんから。表沙汰にはなりませんけど、それに巻き込まれてる人って実は結構いるんです。サクヤさんがジャーナリストになったのは、それをペンで叩くためですよ」
「そんな……そうだったの……」

葛ちゃんとサクヤさんに浅からぬ因縁があったのも衝撃だったが、まさかお母さんの親友だったサクヤさんにそんな過去があったなんて、わたしは露ほども知らなかった。

「だから桂おねーさんもわたしに近づくと大変なことになりますよ」

思い返せばふたりはお互いの名前を知っている様子だったけれど、それを隠していたのは、きっとわたしに気遣っていたのだろう。

「でも、もう葛ちゃんは後継者争いに勝ったんでしょ? だったら今後災いが降りかかることはないんじゃないの?」

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わたしは内心の動揺を押し隠し、言葉を続ける。

「それはそうですけど、わたしはすでに毒虫ですから。触っただけっただけで手が腐るような猛毒持ちですから」
「そんなことないよ!」

わたしは葛ちゃんの小さな身体を抱きしめた。

「あ……」
「やっぱり独りは駄目だよ、葛ちゃん。独りだと悪い考えがぐるぐる回っちゃって、全部がそういう風に見えてくるから。世の中にはひどい人も沢山いるけど、いい人だっていっぱいいるんだよ?」

自分以外は信用できない。だから独りがいいなんて言っているにもかかわらず、その信用できない他人であるわたしを、彼女は気遣っている。

辛い環境で育った葛ちゃんがそうなのだから、暖かい環境で育った人たちの中にはもっと多くの割合でいい人がいるはずだ。葛ちゃんのような賢い子が、そんなことにも気付かないだなんて。

自分自身のことはなかなか見えないけれど、葛ちゃんは自分のこともひどい人の範疇に入れてしまっているのだろうか。

小さな背中に回した腕に力を入れて、確かな暖かさを確かめる。

彼女の硬くこわばった身体を、心を、暖めて溶かしてあげたいと思った。

「……あっ」
「葛ちゃんはちょっと運が悪かっただけだよ。でも、もう一生分のハズレをひいちゃったから大丈夫だよ」

そんなことはないのかもしれないが、否定する材料だって何もない。

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「葛ちゃんが家に戻りたくないなら、家を出る方法を考えようよ」

先の当てがないのなら、わたしの家にくればいい。お母さんとふたりで住んでいたアパートは手狭な場所なのになぜかガランとしているから、葛ちゃんなら大歓迎だ。動物を飼うのは駄目だけど、尾花は賢いし鳴かない子だからこっそり飼えるかもしれない。それに法律などはよく判らないけれど、サクヤさんなら上手い方法を知っているかもしれない。

「だから……ね?」

腕の中で肩を震わせながら小さく頷く葛ちゃんの頭を撫でる。

真夏だというのに、剥き出しの肌を刺す風が冷たい。

風が雲を運んでいく。この風が行く手を遮る暗雲を吹き払ってくれればいい。そんなことを考えながら、わたしは葛ちゃんを抱きしめる腕に力を込めた。

《第八章 了》

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