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第二章  漆 黒 の 少 女

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「終点、経観塚(へみづか)。経観塚です。この列車は車庫に入りますのでお降り下さい」

どれくらい眠っていたのだろう。終点を告げる車内アナウンスに起こされ、慌てて荷物を持って電車を降りると、辺りは夜の闇に包まれていた。

ホームの端にある外灯で周囲はうっすらと視認できるが、その先にあるものはまったく見えない。都会の夜景とはまったく異なる、深くて暗い光景が周りに広がっていた。

ここが、お父さんの生まれた土地なんだ。そう思うと、眼前の暗闇に包まれた場所がなんとなく馴染み深いものに感じられた。

ともあれ、まずは駅から出なくてはならない。荷物を抱えなおしたわたしは改札のある方向へ向けて歩き出した。旅行慣れしていないわたしの荷物は大きく、鞄はパンパンに膨らんでいる。それを持って駅のホームを歩くだけで額に汗が滲んでくる。

目的地はわたしの住んでいる町からだいぶ北にある。だから少しは涼しいだろうと淡い期待をしていたが、その期待はあっさりと裏切られた。北にある山間部で夕闇の帳が落ちたのに気温と湿度はまだ高く、ねっとりとした生暖かい風がわたしの顔を撫ぜる。

「暑いなぁ、もう」

エアコンの効いた車内で眠っていたわたしには温度差がけっこう堪えた。そのためか、荷物の重さに耐えて歩いている途中に思わずよろけてホームから落ちそうになった。端から見たら、きっと情け

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ない格好だったに違いない。慌てて周りを見回したが、周辺に人の気配はなく、胸をなで下ろす。

電車内の状況から考えるに、こんな山奥で降りたのはきっとわたしくらいなのだとそのとき気がついた。事実、電車を飛び降りた際に周囲には誰の姿も見えなかった。こんな山間部の駅のホームで愁嘆場を演じても観客がいるわけがない。駅員さんの姿も見えないし、ここでちょっと一息ついても問題ないだろう。

「ん~~~っ」

わたしは荷物を地面に下ろし、座りっぱなしで凝り固まった筋肉を伸ばすために大きく伸びをしたあと、腰に手をやり上半身をぐるりとひねった。

「ん?」

わたしはそのままの体勢で、固まってしまった。

コツ、コツ、コツ。

夜の闇の中から一定のリズムを刻んだ足音が近づいてくる。どうやらこの駅で降りたのは、わたしだけではなかったらしい。

薄雲に隠れた頼りない月明かりと簡素な外灯だけが頼りのホームの闇からすっと浮かびあがるように、その人は現れた。

綺麗に歩く女の人だった。単に姿勢がいいとかの問題じゃなくて、雰囲気そのものが違っている。桧舞台を踏む女優のような、日常とは切り離された不思議なオーラをまとっているようなある種の威圧感があった。

それだけではない。二重瞼で切れ長の目はいかにもクールな印象で、すっと通った鼻筋と薄い唇には化粧している様子は見られなかったが、それでも彼女の肌は透き通るように白い。

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「わ……」

わたしは唐突に現れた彼女に絶句したまま見とれてしまっていた。  学校の制服だろうか、彼女の服装はブレザーから丈の短いスカートまで黒で統一されている。さらに腰まで届きそうなストレートの黒髪と暗い色のストッキングに包まれた脚。全身がすぐにでも夜の闇に溶け込めるような出で立ちだった。白い肌と黒髪、黒い服の鮮やかなコントラストと、超然としたその様子はどこか普通の人ではないものを感じさせた。

高校の制服だとすると同じくらいの年齢なのだろう。見るからにしっかりしていそうな彼女に比べて、わたしの姿は見るからに頼りない。お母さんも亡くなったいま、これから先は独りでしっかりしないといけないのに。その自覚があるだけに、不意に現れた彼女を見て自分と比べる気も起きないほどショックを受けたわたしはますます情けない気分になり、がっくりと顔を伏せてため息をついた。

「何か?」

慌てて顔を上げると、彼女はわたしの少し手前で立ち止まって、こちらに視線を投げかけている。鋭い視線を向けられただけで、わたしは少し萎縮してしまった。

とはいえ、さっきからジロジロと彼女を眺めて自分と対比し、自己完結した挙句にため息まで吐いていたのはわたしの方だ。悪気があったわけではないけれど、不快にさせてしまったのかもしれない。思わず、わたしは謝罪の言葉を口にした。

「ごっ、ごめんなさいっ!」

「いえ」

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彼女はまるで気にする素振りもなく、静かに言葉を返す。
「それで、私になにか御用ですか?」
「いっ、いえっ! なんでもないです、ごめんなさいっ! それじゃあ、夜も遅いんで!」

わたしは真っ白な頭でわけのわからない挨拶をすると、荷物を抱え直して改札口へと走りだした。きっと変な奴だと思われたに違いない。どうしてこうなのだろう。ちょっと自己嫌悪に陥りながら「旅の恥は掻き捨て」と、わたしは自分に言い聞かせた。明かりがついている方向へ走り続けると、目の前に改札が迫ってきた。

それにしても、あのひと綺麗だったなぁ。いったい彼女は何者だろう。黒装束の女性に対する興味がふと沸いたものの、わたしは彼女がいるはずの背後を振り返ることなく改札に足を踏み入れた。

§

「おお、確かに。ここ『経観塚駅』までだ」

わたしの差し出した切符を受け取った駅員さんは、下車駅を確認しながら言った。

「こんな辺鄙なところに、若いお嬢さんひとりとは珍しい」

優しそうなお爺ちゃんといった感じの駅員さんが、事務所らしき場所の脇にある改札口でパンチ片手に切符を切っていた。自動改札化されている地元にはないレトロさだった。

定年とかないのかな……と考えていると、その駅員さんから不意に声をかけられた。

「お嬢さん、家出かね?」

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駅員さんはわたしの鞄を見ながら言っていた。どうやら膨らんだ鞄から、わたしは家出娘と勘違いされたらしい。

「ちっ、ちがいますっ」

「ふーむ」

駅員さんの表情はまだ半信半疑だった。家出じゃないことを説明しようと焦っていると、再び駅員さんが問いかけてきた。

「もしかして、こっちに実家があるのかな?」

「えーと、そんな感じです。お父さんの実家がこっちにあるんで」

なるほど。何もないところだけど、ゆっくりしていきなさい」

初対面のわたしに対して、昔からの知り合いのように口を利いてくれる。わたしの通学駅では考えられない光景だった。

そんなことを考えながら返事をしようとすると、後ろから涼やかな声が聞こえてきた。

「お願いします」

さっきホームで聞いた声。ホームでのことを思い出し、わたしは耳が熱くなる。

こんな小さい駅に改札口はひとつしかない。彼女がここへ来るのは当然だった。

顔から火が出そうとはこういうことを言うのだろう。わたしは邪魔にならないように小さく縮こまって道を空けた。

彼女は前に進み、駅員さんに切符を手渡す。

「おやおや。こんな辺鄙なところに、若いお嬢さんひとりとは珍しい」

わたしのときと同じ台詞。

「そうですか?」

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「もしかして、こっちに実家があるのかな?」

またわたしのときと同じ台詞。決り文句ですかと聞いてみたくなる。

「いえ、少々用事がありまして」

「ほうほう。それはそれは」

彼女と駅員さんのやりとりを耳にしながら、わたしは今後の行動を考えた。

駅からお父さんの実家まで、バスで三十分以上かかるという話を聞いている。

だけど、わたしはバスと相性が悪い。昔、勘まかせに乗ったバスで居眠りをした挙句、目的地とは正反対の場所で運転手さんに起こされたという前科もあるくらいだ。

初めて来た場所という不安もあり、わたしは確認を取ってから行動に移すことにした。地理に詳しい人に聞いてからバスに乗る方が間違いない。だが駅に他の人影はなく、駅員さんはまだ例の彼女と話の途中だった。

相手が綺麗な人だと会話も弾むのだろうか、わたしのときとは違う駅員さんの対応にそんな考えが頭をよぎる。 おとなしく順番待ちをするべきなのだが、つい好奇心のままに二人のところへ近づいて聞き耳を立ててみた。

「さて、どうだったかな?」

駅員さんが首をひねっている。

彼女は手にしたものを見せながら、何かを訊ねているようだった。無作法だとわかっていたが、わたしはちょっと背伸びをして彼女の肩越しに手元を覗き込んでみる。

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彼女が手にしていたのは写真だった。

優しそうな顔立ちをした、高校生くらいの男の子が写っている。だが写真の男の子の目線はカメラを向いておらず、まるで隠し撮りのように思えた。

「うーん、悪いけど覚えがないねぇ」
「そうですか」
「見ての通り人の出入りの多くない駅だから、改札通れば覚えていると思うんだけどね」
「わかりました」

彼女は刑事ドラマの聞き込みみたいなことをしている。

もしかして、写真の男の子を追いかけて、こんなところまでやってきたのだろうか。ふたりは一体どういう関係なのだろう? 兄弟? 恋人? 許婚?

なにはともあれ平凡に暮らしていたわたしには、ロマンティックな趣がひしひしと感じられた。とは言え今のわたしの境遇も波乱万丈と言って差し支えないのだけれど。

「ありがとうございました」
「ああ、力になれなくてすまんね」
「お気になさらずに。それでは」

彼女は写真をしまうと、駅から出て行った。

「…………」
「おや、お嬢さん。まだいたのかい?」
「はいっ!?」

彼女の後ろ姿に見とれてしまっていたわたしは、駅員さんの声で我に返る。

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「あ、はい、その、ちょっと」

わたしは言葉を濁し、ポケットに入れておいたはずの住所を書き留めたメモを探す。

「少々お訊ねしたいことがありまして……」
「まあ、何でも聞いてください。答えられるかどうかはともかく、せっかく他所から訪ねてきてくださったお客さんだ」
「どうもありがとうござい…」

そこまで言いかけたところで、ポケットの中にメモが見あたらないことに気づく。

あれ? どこにしまったっけ?

「あのっ、ちょっと待ってください!」

焦れば焦るほど、わたしの手つきは危なっかしくなっていく。ああもう、こんなときに。

心を落ち着かせてさらに入念にポケットの中をごそごそと探したが、メモはお財布や定期入れにも挟まっていなかった。続けてポケットにはないと判断して鞄を開けると、ぎゅうぎゅうに詰まっていた中身が派手に飛び出して地面に落ちた。これじゃまるで手品師か、びっくり万国ショーだ。

「ううっ」

自分の情けなさで思わず涙が出そうになる。

「大丈夫かい? もしかしてお嬢さんも人探しかな?」
「違います。そういった話とは縁遠いもので」
「それでは何かね?」
「バスの乗り場を、教えてもらおうかと思って」

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「ふむふむ、それで?」

「それで、住所を書いたメモを探してるんですけど……」

散らばった荷物の中身を片付けながら探したが、結局メモは見つからなかった。税理士さんに電話して、もう一回教えてもらおうかと思い、わたしは服の上から携帯電話を探す。そのとき不意に昨日の自分の行動を思い出した。

メモだとすぐになくしそうだから、携帯電話のアドレス帳に登録してたんだ。わたしは電話を取り出し、アドレス帳を表示させた。

「ありました!」
「それは良かった。ところで、お嬢さんはどこまで行きたいのかね?」

わたしは携帯電話を差し出し、液晶画面を駅員さんに見せる。

「この住所まで行きたいんですけど」
「ふーむ、なるほど」
「さすがに都会の子は、ハイカラな物をもってるんだね」
「いや、そうじゃなくてですね」

駅員さんのレトロさは、見かけ限定じゃないらしい。

「みんな持ってますよ?」
「この辺りは電波の具合が悪いらしくてね。持っていても使えるとは限らんのだよ」
「はぁ、なるほど」

液晶画面を見直すとアンテナはかろうじて一本だけが立っていた。陽子ちゃんとの電話が途中で切れたことを思い出す。

いけない、いけない。駅員さんの話を聞いていたら脱線するところだった。わたしは会話を元に戻す。

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「そうじゃなくて」

「はいはい?」
「この住所に行くには、どのバスに乗ればいいんですか?」
「ああ、バス停なら駅の前にあるだろう?」

駅員さんの指が指し示す方向へ辿り、駅の外へと目を向けると、ちょうどバスが発車していくのが見えた。

バスが走り去った場所に丸と四角を組み合わせたおでんのようなシルエットが見えた。あれがバス停らしい。

「ここらを走る路線は二本。どちらもあそこのバス停に泊まるよ」
「なるほど」
「それでお嬢さんの場合、逆井町行きのバスに乗って途中下車だね。降り損ねると山を越えて隣の町まで行くから、気をつけて」

「はい」
「降りるところは住所の大字と同じだから」
「はい、わかりました」
「そんなことよりお嬢さん。本気でここに行くつもりなのかね?」
>「そうですけど?」
「うーむ」

駅員さんは首をかしげながら、考え込んでいるようだった。どうしてだろう? 不安になったわたしは駅員さんに聞いてみる。

「何かあるんですか?」
「その住所だとあそこ一軒きりだから、間違いないと思うんだがね…」
「はぁ」

そう言ったきり、駅員さんは言葉を濁す。その口調からすると、

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どうやらご近所さんはいないらしい。せっかく持ってきたお土産の「十三石まんじゅう」が無駄になっちゃったかもしれない。でも、まだそんなこと以外に何か別のことがあるようだ。薄々そう思っていると、駅員さんが改めて口を開いた。

「そこのお屋敷には」
「え?」
「あるんだよ」
「な、何がですか?」
「いろいろな、噂がね」

わたしは思わず生唾を飲み込む。駅員さんは嬉しそうな声色で話を続けた。

「確か十年ぐらい前だったか。住んでいた家族が神隠しにあって消えてしまったとか」
「ひっ、引っ越ししただけじゃ?」
「いやいや。実は殺人事件があった、なんていう噂も立ったぐらいだよ」
「嘘……」
「本当だよ」
「とはいえ、その家のお嬢さんが訪ねて来たってことは、噂にすぎないってことかな」

くるくると掌でパンチを回しながら、相好を崩す。わたしは緊張が解けてほっとため息をつく。

「まったく、脅かさないでください」
「はっはっはっ、すまないねぇ。からかい甲斐のあるお嬢さんなんで、ついつい」

陽子ちゃんはともかくとして、初対面の駅員さんにまでからかわれるわたしってどうなのだろう。

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そんなに無用心で騙されやすい顔なのだろうか。

「もうっ駅員さんが、客をからかってどうするんですか」
「すまないねぇ。こんなことでもしないと、暇で暇で。ところで最近はその辺りで狐に化かされたとかいう人がいるらしいんだがね?」

駅員さんは完全に悪ノリしていた。わたしは狐に化かされていると言うより、自分が狸に遊ばれているんじゃないかとも思ったが、それは口には出さないでおいた。

「その話はもういいです」
「そうかね?」
「それで、逆井町行きのバスに乗ればいいんですね?」
「そうだよ。今日はもう無理だがね」
「へ?」

思いがけない言葉に、わたしは狐に化かされたかのように声にならない声を上げる。

「さっき、バスが発車するのが見えただろ?」

外を見たときにバスが発車するのが見えたのを思い出す。それと同時に悪い予感が頭に浮かぶ。

「もしかして?」
「そう。あれが今日の最終バスだよ」

悪い予感ほど的中するものだ。

「まだこんな時間なのに?」

思わず納得できずに言葉を返す。日が暮れたといっても、まだ深夜ではない。個人商店の店終いならともかく、最終バスには早すぎる時間だった。

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「なにぶん田舎なもんでねぇ。山向こうの町まで行くから、終点までは結構時間がかかるんだよ。それに、利用者もほとんどいないし」

確かに、目下の利用者はわたしぐらいだろう。そんな状況で運行しても赤字ばかりが増えるのは目に見えていて、この時間で最終バスになるのも納得できた。だが、それにしてももうバスがないなんて早すぎる。どうしよう? 予想外の事態に思わず頭を抱えたくなる。

「お嬢ちゃんは今、どうしようかと思っている?」
「……思ってます」
「なら、私に良いアイディアがあるんだがね」
「良いアイディア?」

いたずらっ子のような笑顔に、わたしは思わず半歩あとずさって身構える。

「この駅には宿直室なんて洒落たものはないし、老いたり枯れたりとはいえ、男やもめの家に引っ張り込むわけにはいかんから」

「いかんから?」

わたしは思わず聞き返す。

「いい旅館を紹介してあげようじゃないか」
「旅館かぁ」

案外まともな提案に、わたしは肩の力を抜いた。ただ、お財布の中身を考えると心許なかった。

「なーに。私が口を利いてあげるから、飛び込みの未成年でも大丈夫さ。宿泊費だってそれほどかからないはずだよ」

わたしには駅員さんから後光が差しているように見えた。

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お金の心配もする必要なく、旅館に泊まれるという提案はとても魅力的だった。ただ、わたしの中にお父さんの実家を早く見たいという思いもあった。

どうしよう。

無理をしてもお父さんの実家に向かうか、それとも今日はおとなしく旅館に泊まるか。しばらく考え込んだ後、わたしは駅員さんに返事をした。

《第二章 了》

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